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こころの法話集042

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お話042

聞法に救いを求める

金沢市白菊町・瑞泉寺住職 杉谷斉

苦悩を逃れるすべを知らない者

本来、真宗では、法を説く人も聞く人も共にこれを「聞法者」と言ってよいかと思います。そして聞法者とは、人から誉められる呼び名でも、誇るべき名前でもないはずでしょう。もちろん軽蔑さるべき呼称であるはずはありません。
正法を求め、正しくみ法を聞く人を聞法者と呼ぶのでしょう。それは、その人が求めずにはおれないものが内にあり、聞かずにおれない身だということで、それ以外の何ものでもないと思います。
したがって、その人を世間的な、常識的な意味で立派な人とか、優れた人と言って特別扱いするのは当たらない事だと思います。

お話042

仏法は一般的には抜苦与楽の教えであると言われます。だから、私たちの側から申しますれば、苦をいとい、楽を求めるところに開かれる教えと言ってよろしいでしょう。しかし、深く苦悩を感ずることのない人、例え苦悩を感ずることがあっても、お酒、ギャンブル、遊びあるいは精神修養と言ったようなことで、上手に苦悩をいやすすべを心得ている人、また自分の力で苦悩を脱却することの出来る人や、苦悩を忘れるてだてを心得ている人には、仏法は無縁のものと言ってもよろしいでしょう。
ところが、自分の考えや力ではどうすることも出来ない苦悩、だれに頼んでみてもどうしようもない苦悩を背負っている現実、しかもその現実を自分の業とあきらめきれない人にこそ開かれる教えが仏法であり、ことに真宗の教えなのではないでしょうか。
聞法者とは、このようにして仏法にご縁を頂くようになった人を呼ぶ呼び名なのだと思います。もちろん、このほかいろいろな事情が機縁となって、聞法者となられる人もたくさんあるとは思いますが…。

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