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こころの法話集048

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お話048

聞いて欲しい仏の声

福井市田原二丁目・法円寺住職 細江乗爾

呼ばれている私

日本語というものは、難しいものだと思います。同じ言葉でも、使い方で大きく意味が違ってくることがよくあります。「呼ぶ」という言葉も、そうでしょう。人を呼ぶという場合も、「おい」とか、「田中さん!」とか、人を呼び止める時もありますし、「今夜は部長さんの家へ呼ばれているんだ」という時は、およばれという意味に使われます。
この客としてよばれて行くという場合は、今はあまり使われませんが喚(わめ)くという字を書いて、よぶと言います。この字は、「警察へ喚問される」とか、「本国へ召喚される」などという時に使います。また、お寺で行事の始まる前にたたく鐘を「喚鐘」といって、この字を使います。

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この鐘は梵(ぼん)鐘の半分ぐらいの大きさだからふつう半鐘と呼ばれていますが、元来は喚鐘というのが正しいようです。お寺の喚鐘はなるほど、人がたたいて鳴っているのに違いはありませんが、喚鐘をたたいている人の気持ちの中には「この音は、火事の知らせじゃありませんよ。仏さまとお会いするための喚(よ)び声ですよ」と言うべきものがあるはずです。「人に喚ばれる」ことの大好きな私たちですが、どういうものか、仏さまからのお喚び声は嫌なようです。
親鸞聖人とおっしゃる方は、この「仏の喚び声」について、「如来さまがいのちをかけて、この私をよんでくださっている」と言われました。そしてまた、「この私が年がら年中、片時も休む間もなく、如来さまから喚ばれ通しであることに気づいてくれよ」とも教えて下さっています。
「呼ぶ」「よばれる」、どちらの言葉にしましても、この言葉は「私」にかかわりのある大事な事柄に思われます。私に対する呼び声を、ここでひとつ、驚きを持って聞いてみませんか。

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